私が教員を辞めた話 <過労自殺問題と、発言を受けて>

過労自殺の問題が取り上げられている中、

心無い人の発言に悲しくもなります。

(一部、その件への言葉ではないという見方もあるようですが)

 

逃げ場もないほど追い込まれ、自ら命を絶ってしまう。

そんなまさかと思うけれど、

あり得る話だと思っています。

 

私事の話をして恐縮ですが、

苦しんでいる人にとってほんの少しでも助けになれば、

そんな期待を込めて文字を綴ります。

 

2年以上前の話です。

私は幼い頃から夢だった、小学校の先生を4カ月で辞めました。

たった…?と思うかもしれません。

でも、死ぬほどつらい4カ月でした。

 

中学高校と運動部に所属して、割と忍耐力はあったと思います。

小学生の時、担任の先生に憧れて、あんな大人になりたいと、

ずっと願い続けていました。やる気も十分でした。

 

配属された場所は、市内でも有名な、やんちゃな学校です。

そして担任として持った低学年の学級は、

前年度、学級崩壊を起こしたクラスでした。

 

子どもたちに罪は有りません。

子どもたちのことは好きです。

途中で担任を降りて、本当に申し訳ないと思っています。

 

詳しくは控えさせていただきますが、

発達障害、といわれる子たちが多くいるクラスでした。

信じられないような家庭環境に置かれた子どももたくさんいました。

 

はっきり言って、他の先生は助けてくれませんでした。

(ほかの学校では、支えてくれる体制が整っていることもあると思うので

私のところでは、という意味です)

 

心配してくれる方はいましたが、

みんな自分は苦しみたくはないのです。

学校一きついクラスと分かっていて、

全員が新卒にそれを押し付けたということが揺るぎない事実です。

 

そして、一番たいへんだったのは " 初任者指導の先生” でした。

定年後、再雇用で、私のような初任者の面倒をみていました。

元々、市内の別の学校で校長先生をしていたそうです。

 

この先生から教えられたことは、

「子どもになめられるな」ということです。

 

クラスがうるさいのは、お前の力不足。

若い女だから、なめられる。

“恐怖”で子どもを統治しろと言われました。

 

私は、もっと子どもの話を聞きたかった。

給食の時、子どもを一人ずつ私の席に呼んで

話をしよう、と一緒に食事をしました。

私は学生の頃からずっと、

“子どもに寄り添った教育”がしたいと思っていました。

 

でも、それも理想でした。

毎日のように放課後、初任者指導の先生に呼ばれ

「お前は甘すぎるんだよ!」と叱られました。

 

「もっと怒鳴れ。次に俺が来るときまでに、声を枯らしておけ」

と、言われました。

 

声が枯れていないと、

「なんでちゃんとやれないんだよ!!」

と私が怒鳴られました。

 

指導の日は、教室の後ろに彼が陣取っています。

クラスの子たちが騒いでいると、

後ろから私にだけ見えるように

“怒鳴れ、早く”と合図してきます。

 

たまに、彼の圧力に負けて

自分のタイミングではないときに怒ってしまったこともあります。

 

何のために、先生になったのか、分からなくなりました。

 

私がうまくクラスを仕切れないと、

彼が前に出てくるようになりました。

そして、私の代わりに怒鳴り散らします。

 

子どもは一瞬静かになりますが、

昨年度も怒鳴られる教育を受けてきているので、

あまり効果はありません。

 

私と彼の方針がぶれているため、

子どもは混乱し、さらに落ち着かなくなります。

 

子どもと向き合いたい。

だけど、自分の力がまったくもって足りていない。

力不足、というのは自分でも痛いほど分かっていました。

 

今の自分であれば、一年目で完璧にできる人なんていない、と

言ってあげられますが、その時の私は、

理想と、それに伴わない自分・力に屈してしまう自分の

ギャップにどうしても耐えられなかったのだと思います。

 

毎日地獄でした。

何をしていても生きている心地がしなくて、

楽しいことが一つもありませんでした。

土日も学校へ行くか、家で授業の準備。

でも、そうやって準備をした授業も、

子どもが話を聞かないことは分かっています。

 

母親に「もう辞めたい」とこぼした時、

「せっかく夢の職業につけたんだから、一年は頑張ってみたら?」

と言われました。

 

そうだよ。私、10年以上も先生になりたいと思い続けた。

友達からも「先生向いてるよ」って言われてた。

自分でもそれなりに自信があった。 

でも、現実は違う。

 

朝が来なければいいと思いました。

寝れば次の日がまた始まると思うと、

寝るのが怖い。

 

学校に向かうバスを見ると、

毎朝吐きそうになりました。

 

授業参観と保護者会が終わった日、

私は一人になった教室で動けなくなりました。

泣くでも、わめくでもなく、

ただ自分の椅子の横にへなへなと座り込み

2時間近く立ち上がれませんでした。

 

保護者会に来ていた、母親たちがキラキラと輝いて見えました。

ママ友同士でたわいもない話をして、

本当に、本当に羨ましかった。

 

彼女らには、私が毎日抱えている、

この鉛のような憂鬱さがないのか、

それとも、みんな悩みを抱えているけれど

自分だけがどうしようもなく弱い人間なのか。

 

ほかの先生から、

この学校ではないけれど、以前、新卒で数カ月担任をして、

自殺した先生がいると聞きました。

 

―――死んじゃだめだよ、と思った。

でも、そこまで追い込まれる気持ちは分かってしまった。

 

 

いつものように指導の先生から呼び出されたある日、

発達障害とされている子どものことを、

「あいつは悪だ」と彼は言いました。

 

「あいつをさらし者にしろ。

そうすることで、他の児童が荒れる抑止になる」と。

 

この人とは、一生分かり合えないと思いました。

もう、どうでもいい。

「私はこんな教育をしたくありません!!」と初めて大声を出し、

泣いて、泣いて、「こんなことをしたくない」と叫びました。

 

 

私は次の日から、学校に行けなくなりました。

 

 

その後、えらいポジションの先生から

「この業界、うつになる人も多いし、

薬を飲んで頑張ってる先生って普通にいるんだよ。

一度、病院に行ってみてはどうかな。

また、落ち着いたら戻ってきたらいい」

と言われました。

 

病気になってまでやらなければならない仕事って何でしょうか。

死にそうになりながら、続けなければならないものってある?

 

踏ん切りがつき、私は辞職をしました。

 

 

安定が約束される公務員を4カ月で辞めるなんて、バカですか?

 

でも、もう誰にどう思われてもいいじゃんって思った。

あの子は大学まで行って、先生になるため勉強してきて、

でも数カ月で辞めることになっちゃって、可哀想だね。

もう一年続けていれば、クラスも変わって状況も変わるかもしれないのに。

あとちょっと辛坊していれば…。

そう思う人もいるだろうな。でも、そう思われてもいい。

 

だって、病気になるよりまし。死ぬよりまし。

 

人生における価値は、自分が決めること。

でも、死んだらぜんぶ終わりだから。

 

私はそう思えたからよかったと思っています。

でも、死を選択してしまう人もいる。

何度も言いますが、その気持ちや状況は分からなくないのです。

安易に、そんなことで死ぬなんて…と言うのはどうなのでしょうか。

そこまで追い込まれるんです。

孤立している訳ではない、って後でわかるかもしれないけど、

その時は、自分は独りだって、強く感じてしまうんです。

周りからの期待が高かったり、優秀な成績を残していたり、

そういう人ほど、ありえるのかもしれません。

 

私は、父親

「君の人生だから、君の好きなようにすればいい」

という言葉に救われました。

 

ああ、期待されてないなーって、いい意味で思いました。

父は父の道を生きていて、私は私。

この人生は私のものなんだから、

自分が満足できればそれでいいんだって。

 

仕事で悩んで、死にたいって思っている人には、

どうにかなるよ、と言いたい。

 

辞めてから2年が経ちますが、

素敵な出会いがたくさんありました。

教育への思いが強かったために、

たまに考えてしまうこともあるけど、

自分の選択は間違ってなかったと思っています。

 

今はまったく違う業界で、目標もできました。

それがいつか教育とつながるかもしれないし、

つながらないかもしれない。

 

未来は分からないけど、それでいいじゃん。

 

だから、死にたくなるほど悩んでいる人が近くにいたら、

道はいくらでもあると伝えて。

そして、何も考えず逃げろ、と言ってあげてほしい。

 

このような悲しい事件と、

心無い言葉がなくなることを祈っています。

 

 

 

【後日談】

辞めた後、クラスの子どもたちから手紙とプレゼントが届きました。

“悪”だと言われていた子は、

「先生、かぜだいじょうぶ?早くよくなってね」

とメッセージをくれました。

 

私は子どもたちが大好きです。

今は、まだ会えなくて、本当にごめんなさい。

数カ月間だったけど、みんなにすべての愛情を注ぎました。

 

どこかで、また子どもの役に立つことをしたいと思うけど、

無理はしません。